横浜地方裁判所 昭和43年(わ)422号 判決 1968年12月12日
被告人 アーニー・エル・バックリュウ
主文
被告人は無罪。
理由
一、本件公訴事実は、
被告人は在日米陸軍警備隊本部中隊所属の米陸軍四等特技兵であるが、法定の除外事由がないのに昭和四三年二月五日午後四時一〇分ころ、横浜市中区山下町一番地シルク・ホテル七一四号室において、化粧道具入れの中に大麻たばこ七本(約四・九グラム)を隠匿所持したものである
というにある。
二、被告人の当公判廷における供述、同人の検察官に対する供述調書、証人柳下勝美及び同ルドルフ・ペレスの当公判廷における各供述、ルドルフ・ペレスの司法警察員に対する供述調書、司法警察員作成の緊急逮捕手続書及び捜索差押調書(二通)、神奈川県警察本部刑事部鑑識課技術吏員吉村武彦作成の鑑定書及び検査結果回答書と題する書面、押収してある石ケン入れケース一個(昭和四三年押第一六三号の二)、洗面用具入れバツク一個(同押号の三)、大麻タバコ七本(同押号の四)によれば、次の事実が認められる。
被告人はベトナムから日本に向う飛行機の中でルドルフ・ペレスと知り合い一緒に、昭和四三年二月五日午前四時三〇分ころ横浜市中区山下町一番地所在のシルク・ホテル七階七一四号室に投宿し、同室したものであるが、同日氏名不詳者から加賀町警察に対しなされた「シルク・ホテルから出て来た外人二人が大麻らしいものを吸つていた」旨の通報により、同署司法警察員が同日午後三時一〇分ころ外出先より戻つてきたルドルフ・ペレスを右シルク・ホテル五階待合所において職務質問し、任意による所持品検査の結果、同人の所持品中より大麻タバコ一本を発見し、直ちに同所で同人を右大麻タバコ一本の所持の被疑事実により現行犯として逮捕した。
逮捕後司法警察員はルドルフ・ペレスから前記シルク・ホテル七階七一四号室内の自己の所持品を携行したいとの申出をうけこれを許すとともに同人に対し、逮捕の現場においては令状によらずに捜索差押ができるから右七一四号室を捜査する旨告げ同人の要求によりS・Pに連絡し、その到着をまつて前記五階待合所から七階七一四号室に連行のうえ、同日午後三時四五分から同人及びS・P二名の立会のもとに同室者である被告人が不在中の右七一四号室の捜索を開始し、同室居間及びベツト・ルーム内の所持品については、ルドルフ・ペレスに同人の所持品を被告人の所持品から区別させたうえ、ルドルフ・ペレスのものとして区別されたもののみを捜索し、引き続き所持品の区別をさせなかつた同室洗面所内を捜索し、同日午後四時一〇分ころ棚の上から内容物の入つた洗面用具入れを発見したところルドルフ・ペレスから右洗面用具入れは被告人の所持品である旨の申入れがあつたが、その内容を捜索した結果被告人の記名入りの書類等のほか大麻タバコ七本入りの石けん箱を認め、直ちにルドルフ・ペレスに対する前記被疑事実に関する証拠物として被告人所有の右洗面用具入れ及び大麻タバコ七本等の内容物を差押えてルドルフ・ペレスに対する捜索を終え、さらに被告人に関しても大麻タバコ所持の疑いがあつたため、同日午後五時三〇分ころ右七一四号室において外出先より帰つてきた被告人に対し右洗面用具入れの所有者について職務質問したところ、同人の所有品である旨認めたため直ちに同所で同人を前記大麻タバコ七本を所持した被疑事実により緊急逮捕した。
三、右認定事実からすると、被告人所有の洗面用具入れ及びその内容物である大麻タバコ七本等の捜索差押(以下本件捜索差押という)は、刑事訴訟法二二〇条所定の現行犯人(ルドルフ・ペレス)を逮捕する場合における逮捕の現場での捜索差押として令状によらずになされたことが明らかである。
そこで、本件捜索差押の適法性につき判断する。
(一) 憲法三五条は、逮捕状による逮捕と現行犯による逮捕との場合を除いて、司法官憲の発する捜索押収の令状がなければ何人も住居、書類及び所持品について侵入、捜索及び押収を受けない旨規定している。これは国民の重要な基本的人権であるばかりでなく、旧憲法時代の実情にかんがみて、新憲法がとくに詳細な規定を設け、令状主義を原則とし司法的抑制によつてこれを強く保障しようとしたものである。刑事訴訟法二二〇条は右令状主義の例外として、被疑者を逮捕する場合において必要があるときは、逮捕の現場で令状によらない捜索差押をすることができる旨定めているが、かかる例外規定は捜索差押が人権侵害の危険性を伴うものであることに照し、令状を不要とする十分合理的な理由がある場合に限つて適用されるよう、厳格に解釈されなければならないことはいうまでもないのである。
被疑者を逮捕する場合に逮捕の現場で令状によらずに捜索差押をすることができるのは、逮捕の場所には被疑事実と関連する証拠物が存在する蓋然性が強く、適法な逮捕に附随するかぎり捜索差押令状が発付される要件を殆んど充足しているばかりでなく、逮捕者の身体の安全をはかり、証拠の破壊を防ぐ急速の必要があるからであつて、かかる状態の存するかぎり基本的人権を保障しつつ捜査上の必要性に応じうる十分合理的な理由があるのである。したがつて同条一項二号の「逮捕の現場」の範囲は右理由の認められる場所的時間的範囲に限られるものと解すべく、被疑者の身体及びその直接の支配下にある場所であつてかつ逮捕者の安全をはかり証拠の破壊を防ぐ急速の必要が存する時間内に限られるというべきである。
そこで本件を見ると、捜査官はルドルフ・ペレスを前記シルク・ホテル五階待合所において現行犯として逮捕し、右逮捕を理由に同ホテル七階七一四号室を搜索し差押をなしたものであるから、本件捜索差押は明らかに逮捕時にルドルフ・ペレスが直接支配していた場所を越えてなした捜索差押であり、まずこの点において「逮捕の現場」を越えた違法な捜索差押であるのみならず、捜査官は同人の逮捕後その要求によりS・Pの到着するまで約三五分間右七一四号室の捜索開始を猶予しており、第八回公判廷における証人柳下勝美の供述によれば、ルドルフ・ペレスの逮捕にあたつた警察官は令状を得て捜索しようと考えたが、ルドルフ・ペレスが同室にある所持品を携行したいと申立てたところから、同室の捜索を開始した事情がうかがえるのであつて、前示の急速を要する状態の存したことも認められず、この点からも本件捜索差押は「逮捕の現場」の要件に適合しない違法なものといわなければならない。
(二) 仮りに前記七一四号室が逮捕の現場と解しうるとしても、右室内で行われた被告人の所持品に対する本件捜索差押は違法である。
即ち逮捕の現場における捜索についても刑事訴訟法二二二条一項によつて同法一〇二条二項が準用されるから、逮捕された被疑者以外の者の所持品については、たとえ逮捕の現場にあるものであつても、その所持品につき差押すべき物の存在を認めるに足りる状況のあることが必要とされ、又逮捕の現場における捜索、差押は当該逮捕の基礎となつている被疑事実に関する証拠を収集保全するためになされ、かつその目的の範囲内と認められるものに限られ、他の被疑事実に関する物件がたまたま発見された場合においては、たとえ禁制品であつても当然には差押は許されないものと解すべきである。而して捜索差押の適法性はその任にあたつた捜査官の故意過失の有無によつて左右されるべきものではなくして結果的・客観的に評価さるべきであるところ、前記認定の如く本件において捜索された洗面用具入れは被告人の所持品であつて、現行犯人であるルドルフ・ペレスの管理下又は同人との共同管理下にあつたものとは認められず、又前記認定事実に照らし右洗面用具入れにつき差押すべき物の存在を認めるに足りる状況があつたともいい難いとともに、差押された洗面用具入れ及びその内容物たる大麻タバコ七本等はいずれも被告人の所有物であつてルドルフ・ペレスの逮捕の基礎となつている被疑事実に関する証拠ではないことが明らかであるから、これらは本件捜索差押手続によつては本来捜索差押をすることが許されないものであり、結局本件捜索差押は刑事訴訟法二二二条一項によつて準用される同法一〇二条二項の「押収すべき物の存在を認めるに足りる状況のある場合」の要件に適合しないのみならず、同法二二〇条一項前段の「現行犯人を逮捕する場合において必要があるとき」の要件にも適合しない違法な手続により行われたものであり、憲法三五条に違反するものといわなければならない。
四、さらに前記認定事実によればルドルフ・ペレスにおいて本件捜索差押につき適法な承諾をしたものとも認められないし、ルドルフ・ペレスが右承諾をしたとしても、本件洗面用具入れにつき管理権を有しない以上本件捜索差押が適法にならないことは明らかである。
また本件搜索差押は被告人の緊急逮捕に着手前その不在中になされたものとみることもできるが、刑事訴訟法二二〇条の規定する令状によらない捜索差押は、緊急逮捕に着手すると同時もしくはその後に開始されなければならないものと解すべく、緊急逮捕着手直前の捜索差押を許容するとしてもこの場合には被疑者の現在することを必要とすると解すべきところ、本件捜索差押の開始は被告人の緊急逮捕に先立つこと一時間二〇分間前であつてかつ右開始時において被告人は不在であるのみならず右開始時において同人を緊急逮捕すべき資料があつたとはいえないから、本件捜索差押はルドルフ・ペレスの現行犯逮捕による捜索差押手続にあたつて第三者である被告人の被疑事実に関する証拠を捜索差押したことに帰着し、いわゆる一般探索的捜索と同様の評価をせざるを得ず、被告人が後に緊急逮捕されたことからこれを適法視することは到底不可能であるといわなければならない。
五、以上結局本件捜索差押は刑事訴訟法二二〇条、一〇二条の規定に適合せず、かつ令状によらない適法の捜索差押であるから憲法三五条に違反するものといわざるを得ない。そこでかかる違法違憲の手総によつて捜索差押された物件を証拠とすることが許されるか否かを検討するに、憲法三五条は犯罪の証憑の収集のために行われる捜索差押に対する国民の住居、書類及び所持品についての安全を保障したものであり、この規定に違反して収集された物件がたとえその手続が違憲であつてもなお犯罪認定の証拠とすることが許されるとすれば、右憲法の保障も有名無実になつてしまうといわざるを得ないから、違法違憲な手続によつて収集された物件、その捜索差押調書、鑑定書等はいずれも証拠として利用することは許されないものと解さなければならない。
従つて、本件における違法違憲な捜索差押によつて得られた石けん入れケース(昭和四三年押第一六三号の二)洗面用具入れバツク(同押号の三)、大麻タバコ七本(同押号の四)及び右大麻タバコ七本に関する神奈川県警察本部刑事部鑑識課技術吏員作成の鑑定書、右捜索差押手続に関する司法警察員柳下勝美作成の捜索差押調書、司法警察員作成の写真撮影報告書、証人柳下勝美の第二、三、八回各公判廷における供述中違法な捜索差押に関する部分、司法警察員作成の緊急逮捕手続書中違法な搜索差押に関する部分の各証拠は、いずれも証拠として利用することは許されないものであるからこれを排除する。
なお弁護人は、右各証拠の取調につき違法収集証拠であるとして異議を申立て、結局同意したものであるが、異議なく同意したとしても違法違憲な捜索差押の瑕疵が治癒され証拠能力を取得するものではない。けだし、刑事訴訟法三二六条の同意は伝聞証拠に対して証拠能力を付与するにとどまるものであり、同条を伝聞以外の理由により証拠能力を欠く証拠全般に及ぼし得ないことは明らかであつて、特に憲法三五条に違反する捜索差押及びこれにより収集された差押物に関し作成された証拠書類については、たとえ被告人側の同意があつてもこれを証拠とすることは許されないものと解すべきであるからである。
以上のとおりであつて、ほかに本件公訴事実を認めるに足りる証拠はなく犯罪の証明がないことになるから、刑事訴訟法三三六条により被告人に対し無罪の言渡をする。
よつて主文のとおり判決する。
(裁判官 斎藤欽次 広岡得一郎 青山揚一)